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震災11年の節目に思う事 [よく考えてみて!!]

今日で、阪神大震災から11年が経った。
この11年間に新潟中越地震や、福岡沖地震など、大きな地震が何度も起こってるけど、直近の新潟中越地震以外は、もう風化しつつあるんじゃないだろうか。
いや、正しく言えばその新潟中越地震でさえ、人々の記憶から消え去ろうとしている。

でも、こういった多数の犠牲者が出た自然災害について、その怖さと自然災害の前での自分の無力さ、そしてその経験を今後同じような被害者を出さない為に、これから何をすべきなのか、きっちりと後世に伝える義務が我々にはあると思っている。

11年前の記憶は、今でも鮮明だ。

11年前の今日、午前5時45分、僕はまだ大阪の実家に居て、トイレから自分の布団に戻ったところだった。
その2分後、グラッと揺れが来て、「すぐ収まるかな?」と思ったら、益々揺れが強くなっていき、揺れが収まったときには、戸は外れ食器も散乱し、ガス、水道、電気は止まってしまった状態。

家の外に出てみれば、家の土台ごと5cmほど動いた傷跡があり、また、その後延々と続いた余震の大きさで、やっと地震の大きさを理解した記憶がある。

それから2週間近くライフラインは止まったまま。1時間に1回くらい繋がる携帯電話で親戚に連絡を取り、食事を差し入れてもらったりもした。

震災から1週間後に、会社が心配になって出社した。2号線、43号線、山幹、海岸通、全て通行不能、電車も止まったままだったので、クルマで吉川周りで片道6時間かけて出社した。
それでも会社まではたどり着けなくて、僕の母校にクルマを置いて、そこから地下鉄と徒歩で何とか会社にたどり着いた。
当時勤めてた会社は、鷹取にあって、一番震災被害の酷かった長田地区からクルマで15分くらいの距離。
ただ、その当時は長田から鷹取近辺まで一面焼け野原になってるなんて知らなかったから、ウチの近所と同じ程度の被害だろうと思っていたら、実際火が一部でまだ燻っていて、すごく異臭と言うほどでは無いものの、いつもと違う変な匂いが当たり一面に漂ってた。

あの景色を見た時は、本当に悲しくてね。あまりにも悲しくて泣きながら会社まで歩いた。
あの記憶は、11年経った今でも消える事は全く無い。

あれから11年の間に色々耐震技術も進化し、人的な被害が少なくなるような建築や街づくりが進んでいるけれど(耐震強度偽造は論外!)、だからといって阪神大震災の記憶を風化させてはならない。
僕も悲しい経験をしたけれど、この震災で突然親愛なる家族や友人を亡くされた方々の悲しみはもっと計り知れないものだし、突然命を絶たれた方の思いは、今後もずっと伝えていかなければならない。

同じ阪神大震災を経験した関西人の一人として、いつも記憶から忘れる事無く、今後もこの悲しい思いを2度とさせないよう、折り入ってこのブログで伝えていく事ができればと切実に思う。


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